カテゴリ:エッセイ・評論他( 28 )

 

男同士の絆/イヴ・K・セジウィック

むずかしい……なにがむずかしいって、噛み砕くと「~~なのではないかと考える。この場合こういう反論が考えうるけどそういうことじゃなくてもっとこうこのへんの話が私はしたいからあそこらへんに取っ掛かりがあるんだろうなーとおぼろげながら思ってる」って、終始こんな感じで文が進んでるから。
議論に対する誠実さを求めた結果主張が曖昧に行きつ戻りつして、主張の結論を出さずに議論の展望のみ語るのでわかりにくいんですね。イギリス文化と文学からきし知らんし。
でもがんばって読んだ。面白いから。

面白いんですよ。最近フェミニズム入門書をいくつかぱら読みしてたんだけど別に私入門書いらなかった。学問が知りたかった。

簡単に背景を調べたところ、レヴィ=ストロースの、「血を存続させていくために近親相姦を忌避する、そのロジックとして血の再生産役割である女を共同体から代謝していく」という女の交換論をフェミニズムから分析した先人たちが幾人かいて、それをさらにホモソーシャルという文化のなかに読み込んで考えたのがこのセジウィックの『男同士の絆』ということ。(間違ってるかも)
「男性同性愛はミソジニーすなわち女排除の究極形態だ」という俗説を否定し、ゲイと女性の権利獲得活動を接続しようとしたと。
でも結構ゲイカルチャーって血再生産のための女体すら必要としてないから究極ミソジニーを温存してるとこあるよね……っていう実感はさておき。


いちばんおもしろかったのは、「近代社会においてなぜホモソーシャルはホモフォビアを内包しているか?」分析。
古代ギリシャなんかのホモソーシャルは少年愛文化が存在した。(日本の男色文化もそうよね)
だからホモソーシャルはそれそのものがホモフォビアを要求するわけではない。
しかし、近代(イギリス)社会においてはホモフォビアは必然的に必要とされた。なぜか。
「家父長制やそれに準ずるホモソ社会を維持するために、最小限の力で最大の効力を発揮する、男たちを統制する機能の役割、それがホモフォビアだったから」。

よく観察すると、ホモソーシャルが称揚する男の絆と、ホモセクシュアルな男の関係は非常に似ている。ていうかほぼ同じ。
似ているがゆえに、ホモフォビアはホモソーシャル統制に最大の効力を発揮した。
ホモセクシュアルだと指摘された途端に男はホモソーシャルの階級から落下する。
ホモソーシャルは、たまに気まぐれにホモセクシュアルを弾圧し、”いつその関係がホモセクシュアルだと指摘・断罪されるかわからない”状態をつくっておかなければならなかったのだ。
そうすることで、「ホモだと見なされないように振舞わなければならない」とつねに男を脅かしつつけ、ホモソーシャルを維持していくことができる。

……それだ!!!!!
もう、なるほどなーそれだーーーって感じ。
で、家父長制維持に必要な異性愛は、「ホモだと見なされないように」という隠蔽のために選択されると。
ご、合理的だ……というか便利すぎるだろホモフォビア……。
私は、例えば、ホモソ的な作品のなかで男たちが男らしさを確認したときの軽く拳をタッチしあう儀式が嫌いなんですが、今まで私はそこに「ホモセクシュアルが抑圧された姿」を読み取っていた。
言葉を交わさないで通じ合う(と思い込む)、感情を表情にあまり出さないようにする、男らしさを確認したときだけ最低限のふれあいが許される。いや触れろよ! 体全部で感情を表現しろよ抑圧するなよ! と思ってた。
しかしセジウィックはそれを、「むしろ推奨すべきホモソーシャルの絆と忌むべきホモセクシュアル関係というダブルスタンダードがあらわになる瞬間」だと言う。
ほほう……。


「女の交換論」については文献を遡りたいな。
男の絆を深めるのにどうして女が貨幣として交換されねばならないのか、実はよくわかってないなと思った。
ホモソーシャルは女を外縁化する。至上の男だけの絆を作りたいのなら単に女を排除するだけでいいのに、「寝取られ男」にさせられる危険性を冒してまで、異性愛をする。
ここもよく意味がとれなくてわかんなかったのよな……。なんで危険を冒してまで女を取り込むか。
シェイクスピアのソネット集分析は明快だった。
血の再生産のために相手の男の異性愛を望むが、「女」が実在性を帯びるようになると今度はホモソーシャルが破壊される恐怖にさらされると。
女が介入すると、男のあらゆる挙動について「女が現れたせいで堕した」とすべて女に責任を課すことになる。だからホモソーシャルが破壊されると考えてしまう。考えることになってしまう。
でもここも、そもそもなんで女が潜在的にホモソーシャルを破壊する脅威になりえているのかがぴんときてない。
女はホモソーシャルを破壊する恐怖になるか? 女は男を支配できないのに?(それを前提だと考えるからぴんときてないことはわかる)
もうちょっと読み込もう~。
これの補論的なその後の議論って体系化されてないのかな。見当たらず。
ジラールの「欲望の三角形」あたりもいくかー。

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by jinloturu | 2017-02-27 03:29 | エッセイ・評論他 | Comments(0)  

輪廻と解脱/花山勝友

これです、私が知りたかったことがほとんど書かれている。

まず私の立場として、前世もの作品を読み漁るブームが到来して(物語を類型としか見れなくなったので一旦休止中)なんか前世設定ってあまりにも輪廻転生を簡略に扱いすぎてない?宗教的にはもっと違うでしょ?と思ったから調べたく思い。

仏教を調べていたときに「仏教は絶対永遠的な魂があるとはしない、魂に実態がないからこそ輪廻は巡る」という話を聞いたことがあってそれがどういうことかと思ったら、まず、仏教の歴史的前提にインド思想・哲学があるからなのね。

本来梵我一如であるはずなのに無知によってその真理を悟れない、だから業を背負って輪廻を繰り返してしまう、アートマンはブラフマンと同一であると悟れば転生しなくなる――というインド思想はよく聞く話だが。
しかし仏教は「無常」を教義とするので個々に永遠性を持ち輪廻の主体となれるアートマン(我)の存在を認めるわけにはいかなくなった、輪廻するべき永続的主体がない、ではその仏教が輪廻を考える際にどう理論を構築すべきか?というところから始まっているのだと。

魂を永遠に変わらぬものだと規定できない。
ではどうするか。身口意からくる業が第八識である阿頼耶識に溜め置かれ、因縁生起の考えに従ってそれが因果の因となり、輪廻転生のもととなり、いずれ果を結ぶ。
注意すべきは阿頼耶識はアートマンと違って永遠不変性を持たないことで、一瞬前の阿頼耶識と、身・口・意を成した一瞬後の阿頼耶識はひとつ業が加えられているので別物である。
一見同じもののように見えるのは末那識のせいであり、末那識とは第七識であり六識中の意識とは違い意識の拠り所になるもの。
人間の中にある自己中心的な、けれども常識によって認知することのできない裏側の意識みたいなもの。
(末那識、よくわからない。前意識か?と思ったが深層意識・前意識ともに阿頼耶識っぽいもんな)


それと「転生しなくなる」というのが解脱であり達成であるというのは強烈な厭世の宗教観によるもの。
生きるのは苦しい、その苦しみはこの世に執着があるから、というのは一応知っていたが、ここまでとは。
結局人間存在そのものが苦しみの原因なのでそのもとを断ちたい、という。
しかし無知によってこの世の楽しみにばかり目がいってしまうので、「もう一度生まれたい」と思わないように陰惨な世界観がある。
天界・人間界・(阿修羅)・畜生・餓鬼・地獄――
このなかでも「まだまし」な人間界に生まれる可能性だって低いし、天界に生まれたとしても次はそれよりましな世界はないので死ぬのが苦しい。
そこに苦しみがあるのをちゃんと悟って解脱しよう!

……と。このへん現代日本の価値観とそぐわないよね。
転生もので「二度と転生できなくなるよ!」とは散々聞いてきた言葉だ。あと厭世よりも人生讃歌が好まれる、というか苦しみ溢れる人生をなんとしても肯定しなければならないという意思を感じる。

そしてその現代価値観にも本書は自覚的であって、結びのほうには「現在の人生こそが大切」という話もしている。
前世とか来世とか言われても、今関係ないしねって。
でもこういう思想が広まったのは現世に一筋の希望も見いだせなかった時代なのかもしれないと思うとなんとも。
そしてこの現代において輪廻転生思想を考えるならば「遺伝子の相続」という形で受け取られるのではないかという可能性を示唆していてとても納得の感。
業の集積としての阿頼耶識を、遺伝子に置き換え代々の行いの継承、そしてまた自らの行為も含めて再び子へ受け継がれていく、という考え方。
まあ、でも、「輪廻転生」と聞いたらやっぱり個の転生だし、その因縁を継承するかどうかが「前世もの」の鍵になる。
軽く調べたなかでは古今東西転生もので仏教的な輪廻転生観を採用しているものって皆無なんだよね。
ちょっとくらいあってもいいんじゃない……!?そもそも輪廻転生について調べようと思ったのは転生ものの漫画で明らかに間違った解説をしているのを見てしまったからなんだ。


しかし悟りきった仏よりも、悟って仏陀になれるにもかかわらず大乗精神で他人が悟る手助けをする菩薩が好まれたというのはいかにも日本人らしい感じ。
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by jinloturu | 2016-05-05 07:18 | エッセイ・評論他 | Comments(0)  

輪廻転生を考える/渡辺恒夫

うーん。
遍在転生説、合理的すぎて、というか合理性のみを求めすぎていて、合わない。
世界に対してそこまでの理屈を要求しますか、という。
わかるよ、死んだら来世は未来ではなく過去や現在に転生する可能性なんかは、わかるよ。
でも息づいている一切の人間が別の「私」の生だと言われても……そこまでの理屈はいらないかなあという。
いや思想としては理解できるけど採用したくはないなと。

あと個人的に少女漫画をいちいちサブカルチャーの隅っこだと言い張るのも気にくわない。
「まさか私の思想がこんな辺境文化である少女漫画で描かれているとは!」みたいな。てめえ佐々木淳子は偉大な作家なんだからな。

しかしやっぱりこのへんの80年代~90年代のサブカル系の若者らはアイデンティティーの揺らぎを異常に恐れていた感じが読み取れる。
現代は確立してあるところの「私」が揺らぐことを恐れるけど、この時代は絶対的な価値観が崩壊しようとしている頃、またはしたばかりの頃だからなのか、そもそも「私」自身が曖昧で「私は代替可能な存在なのか? 私の存在は無意味なのか?」というところから始まっていて前世ブームもその生に意味を探る潮流のなかにあるような。

きっとその先駆けとしての著者がありここまで究極の合理的絶対自我の理論を確立させたんではという印象。
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by jinloturu | 2016-05-05 07:17 | エッセイ・評論他 | Comments(0)  

俺たちのBL論/サンキュータツオ/春日太一

基本的には期待通り面白かった。
関係性のバリエーション、楽しみ方のバリエーション、余白の楽しみ、「かわいい」の考察。

「恋愛による醜さのCG回収がしたい」には膝を打った。
私はみじめったらしさをさらけ出す男が見たいからBLにそれを求めに行く。男女ではあまり見れない。

「リバ不可」は関係性が好きで「リバ可」は絆が好き、というのも得心。
ふたりがふたりであればそこに拘りはないという。
それでいうと私はリバに拘りがめちゃくちゃあるので私の「精神的不均衡を積極的にひっくり返すリバ」「受け×受け」嗜好は関係性萌えなんだよな。

「男は丈夫だから安心」理論、めちゃくちゃよくわかる。
言葉責めって萌えと萎えが紙一重で、お前何様だよって思うことがしょっちゅうあるんですけど、受けが男なら許せる範囲萌える範囲が広がる。
逆に女体化すると許せる範囲狭まる。
そのへん「二次元において「性」は属性」というポイントにも通ずるな。
それと同じ理論で私は女同士なら傷つけあっても安心だと思っていて、相手を絶望に突き落とす百合が好きなのもそのへんにあるんだろうな。

春日さんが『窮鼠』『俎上』を正しく理解していたのが嬉しかった。
そう!「川を易々越えた恭一が怖くなって線を引いた今ヶ瀬」が『窮鼠』シリーズの本質。最後の最後に川を渡りきるんではなく、川なんてないよって明示するのが恭一。

あと春日さんはアンセクシャルの概念を知ったらちょっと楽になるんじゃないですかね……。



そんでもやもやしたところ。

一番言っちゃいかんだろうと思ったのは「女性はこういうふうに攻められたい」って部分かな。「あくまで一部」ってことにしてはいたけど。
男性向けと比較してそういうのが絶対に全くないとは言わないがBLだって大概ファンタジーだよ。
もし作家さんの(ひいては女性の)「こうされたい」を反映しているのならフェラシーンとかどう見るんだよ……って話。
それを「男がBLを読む際のススメ」にするのはやめて。女性エロ作家が「あなたはこうされたいんですね」って言われることでどれほど消耗するとお思いか。


あと春日さんと百合観がまったく違うのでよし戦争しよ。
ガラスみたいな百合も百合の一側面ではあるけれどもすべてではないから直接的なエロがあってはダメとか断言しないでくれ~。
それと今そういう壊れてしまいそうな百合がメインストリームかと言われたら首を傾げるぞ。
あとよくある誤解の「百合は男性向け」っていうのもな。それAVの見すぎや。

そして「恋愛」といいがたい感情や関係に萌えを見いだすBL好きが沢山いるんだから(「恋愛」に限定されてしまうような気がして嫌だから「BL」という語句を使わない人も沢山いるんだから)「恋バナ好きはBL好きになれる」とまとめるのは雑でないかと思う。




タツオさんは無邪気に差別をする方ですけども、ホモフォビアはほとんどない。同性愛への偏見は極力なくそうとしてる。
それがたとえば「同性愛を非日常的なことだと思う読者」という行き届いた言葉づかいに表れる。同性愛は本来日常的であるけども、という。
あるのは女性への偏見なんですよね。「一般論です」という前置きをしていながらその実ステレオタイプを垂れ流す。

一番雑だと思った分析は「男はいろんな関係性がある」けど「女は好きか嫌いかの二分法で生きていかざるをえな」くて、だから腐女子は「友情って言われても私たちの感情にない」がゆえにわかりやすい「恋愛関係」に落とし込む、って話かな。

男女も女同士もいろんな関係性があります、女だって(一般論にしても)好きか嫌いかの単純な構造で生きてたりしません複雑な友情やらライバル関係やらを持ちます。
わからないからわかるものとして理解しているんじゃなくて、わかっていようといまいと恋愛にすると楽しい化学反応が得られるからしてるんだ本書でもそう分析されているじゃないか。
動画(39:11あたり)に照らし合わせてみてだいぶ編集で気配りしたんだな……とは思ったけど根本的なところがなんだかな。


BLが好きだって思ったのならそれは最終的に性別関係なく誰でも同じ感情を共有できるんだから「男と女とで解釈プロセスが違う」と思うほうが間違いなのよ。
確かに最初の障壁は違うかもしれないしその手助けとしての本書は有用だと思うけど、その後たとえ違う見方をしてもそれを無理やり「男だから」「女だから」に当てはめるからおかしなことになる。
自分が感じたことを拡張していく形で論を組み立てていけばいいのに型に当てはめた「女性」像から導いていこうとするからその偏見まみれの「女性」像に反発を食らうんでしょう。
「極力一般化しないことを心がけた」とタツオさんは言ったけど残念ながらその試みは失敗していると思う。


「腐女子」は本来、腐女子本人が使うべき用語であって、外部の人がその人をさして呼ぶべき言葉ではないような気がするのと同様、ここ数年、常に外部の者としての疎外感を感じながらも、自分なりの萌えを追求してきました。なぜ自分はBLややおいに萌えるのか。答えのでない問いでした。 サンキュータツオ2/12-16渋谷らくご (@39tatsuo)
https://twitter.com/39tatsuo/status/690201378434625536
しかしひとつハッキリしているのは、この疎外感というのは、ふた昔前は「オタク」総体が、一昔前は「腐女子」総体が経験していた、疎外感、そして後ろめたさだったということ。私はいわゆる「腐男子」なのかはわかりませんが、BLはコンプレックスと後ろめたさを忘れちゃいけないなと思ってます。 サンキュータツオ2/12-16渋谷らくご (@39tatsuo)
https://twitter.com/39tatsuo/status/690201881298112513

(このブログスキンtwitter埋め込みできないらしい)

「BLは後ろめたさとコンプレックスを忘れちゃいけない」発言、タツオさん本人が真意を説明しないので推測するしかないんだけど「自分は男でBL市場の主要層ではないからBLや腐女子と繊細に接さねばならない」でいいんですかね。
数年タツオさんのBLに対するスタンスを追ってきて本書も読んでみてやっとそう読み解けるけど、もしこれで合っているならやはり言葉の扱い方が雑としか言いようがない。

文脈を読んでと言われて読もうとしてもすごく読みづらい。
まず「BLは」が主語になっている時点で個人的なことには相成れず一般化するニュアンスにしかならない。
そのため既に存在する偏見を助長する発言になってるから駄目だって言ってる。
タツオさんはBLをよく知らない人に伝えることのできる立場にいる人だから、そういうふうに伝わってしまいたくない、そういう話。

そんでこの解釈で合ってるとしても、やはりそんな後ろめたさは忘れてくれていいと思う。ていうか忘れてくれ。
同じ趣味なのに変に「男と女の立場は違う」と思い込んでしまうと事を見誤る。
思い込んでないのに疎外感があるっていうならじゃあその垣根をはらっていきましょうね、という話でいい。



あ、あと、全編とおして敷居高くしてない??
クリエイティブさを極めてこそ腐女子として上級者であるみたいな論調。
今でこそ最後のケーススタディシートだってやってみれるけど昔妄想力低いことがささやかなコンプレックスで私は腐女子文化にコミットできないなと思ってたからちょっと危機感。
BLに目覚めたい男性に向かっているんだから敷居は低くしてこ。

あっケーススタディシートやってみて気づいたのは私今まで攻めには余裕を失ってほしい余裕ある攻め萌えないと思ってたけど受けも同様に余裕ないほどおいしいですね!!
包容力高いのは攻めも受けもあまり好きではないらしい。
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by jinloturu | 2016-02-08 23:20 | エッセイ・評論他 | Comments(0)  

マンガ・特撮ヒーローの倫理学/諫山陽太郎

★<この世の倫理>とは
因果論の輪廻から<師>や<友>の助けを得て修行し<善>となって解脱すること。

★<あの世の倫理>とは
異世界(死の世界)からの使者によって真善美が黄金比を持ってこの世界の倫理が活性化すること。
真と善とが美によって繋がれることで完成する
異世界は倫理的価値観をもたらす

★真善美とは
真=知る者。真理を知る者。
善=作中における倫理を実行する者。よいこと。
美=美しさ

★<倫理>は全体性を要求する。
<この世の倫理>は異世界を未来に設定し、未来へ向かっていくことで現在を生き生きと描く。
しかし倫理を完成させるために「物語」は死を要求する。
死を挿入することで未来から過去へと<倫理>を引きずりおろし、<今>が未来へ向かうのではなく過去から<今>を問うようになる。
<この世の倫理>→死→<あの世の倫理>。


★貴種流離譚とは
<この世の倫理>と<あの世の倫理>を繋ぐことで物語的<倫理>の全体構造を完成させる装置

★諫山陽太郎的(折口信夫から見た)貴種流離譚の要素
(引用開始)
1故郷から離れる
2水辺で協力者に助けられる
3故郷の外での辛苦の末に偉大な存在へと化ける

A主人公は父親を越えた能力を持つが、その父子関係にはどこか尋常でない部分がある。
B母親との接触がない

(p136,137より一部引用)


★日本的物語倫理の構造
死が<この世の倫理>と<あの世の倫理>を繋ぎ、異世界のありかを未来から過去に転化することで主人公が貴種(よそ者)となる。
そうして主人公は善の体現者へと成長し、物語は死によって発生した真善美を獲得する。

未来へ向かう<この世の倫理>から死を通じて流離することで<あの世の倫理>へ変化し、善を体現するよそ者となった主人公は異世界(今ここではない所)へと帰ることで神となる。


★メモ
<身内>と<他者>の線引きが揺らぎ境界が崩れたときにこそ<身内(国)>に危機がおとずれる
日本では<死者>が今を作り国が今に受け継がれてきた。
<死者>は<他者>でも<身内>でもない境界の存在






物語構造の話が面白かったのでメモる。
色んな名作に当てはめていくのが楽しいだろう。視点がひとつ増えた。
そしてまさにももクロの物語性を説明しきってくれてこれはすごい。

紅白という未来(異世界)を設定し、それに向かって邁進していくことで売れていき、いつかそれが叶うのではないかと夢見た矢先あかりんが脱退する(死)。
ここで倫理が未来から過去へと引きずりおろされ、「ここで減速してしまったらあかりんに申し訳ない、あかりんに心配かけないよう成長しなければ」という意識が働くことでメンバーは善を体現する。
運営陣という真(運営方針、メンバーの理解者)、本人らの容姿という美を備え真善美が形を成し、ももクロは成功していく。

……というふうに理解するとわかりやすいな、私の中で。
杏果を「よそ者」として倫理が活性化する話としても切り取れる。

てかファフナーもろ貴種流離譚になりそうだなEXODUS。神話か。
色々援用できそうで物語をもっと楽しめるようになりますね。
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by jinloturu | 2015-09-19 01:55 | エッセイ・評論他 | Comments(0)  

資本主義から市民主義へ/岩井克人/三浦雅士

あっ好きだ。

何気なく手に取った本だけど思想が自分に合いすぎ。いい出会いをした。
「モノでありヒトである」二面性を受け入れるところとか、IT革命は技術が物事を決定したのではなく世界が革命を必要としただとか、「自分の意思で動くときそれは自分を使役すること、所有することである」とか、エピメニデスのパラドックスを真理形式の不完全性ではなく「命題の真偽が非決定であるという命題が真である」と解釈するとか。
特に「建設的虚構」のところであああああ好きいいいいいってなった。
そうなの!虚構は現実の正反対ではないの!
虚構がモノとしての実体よりも遥かにリアリティを持つことがあって、それを信ずるがゆえに現実に影響を与えるの。
私はその中に生きていたい。

そして岩井氏は言語・法・貨幣は社会的実体を持つ建設的虚構だと言う。
一定の社会の中で実体という力を持つもの。




本質にあるものは無。自己循環論法。
産業資本主義は(地域、階級的格差に基づいた)労働力を無限にあるものだと規定したけどもイデオロギーに過ぎず、利潤は差異からしか生み出せない。

無だけれども無意味ではない。「社会的実体」を持ち効力を発揮する。
正直仮言定理とかなんだったっけ?ってレベルの知識だったんだけどそれでもわかる話を筋立てて語ってくれたからわりとすらすら読めた。

人間の自由は法で初めて現実化され、経済の自由は貨幣の存在があってこそ。
そこで取りこぼしている自由への運動を受け入れて、いつしかその自由は国家(法)か資本主義(貨幣)に吸収されていく、という市民主義のメカニズムめっちゃわかりやすいな。

市民主義な……あはは。
カントの定言命題的倫理が思想ではなく真理となった社会が市民社会であると。
人権を身にまとっているという考えが浸透してる成熟した社会……絶賛逆行中ですけど……。
マイナンバーとかな?派遣法改悪とかな?
自民党の改憲草案ぞっとしますね?
個を失わせようとする働きだからな。遠ざかってる。

そしたら長谷部恭男さんの「民主主義の暴走を止めるための立憲主義」を引用しててちょっと面白かった。
この書は2005年発行なので「民主主義の暴走=集団ヒステリー化する=民衆を信用しない」って話に持っていってるけど、現在だともうちょっと違った見方をしたいですね。
「民衆に選ばれたのだから何をしてもいい」と勘違いする権力を止めるための立憲主義を。

結びが「『資本社会から市民主義へ』という考え方がたしかな力をもたなければならない時代になってきている」だったけど、10年経った今でも、今こそ、だよなー……。
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by jinloturu | 2015-09-13 15:16 | エッセイ・評論他 | Comments(0)  

政治の修羅場/鈴木宗男

ボトムアップだねえ。
「先生」の考えを先回りして読み取ることが優秀な秘書となるわけか。
とある仕草をしたら煙草がほしいということ、そしてそれに従わねばならない、みたいなのって面倒くさいよ……。
でもそれが日本的なのだろうか。

「総裁選の賄賂を受け取らない。金で動いたと思わせない、気持ちで動いたと思わせる」(下手に義理を作ったら縛られる)とか面白い駆け引きだなー。


全然小泉政権時代を知らないけど、北方領土、「政府が四島一括変換方針のところを鈴木氏が二島先行に無理矢理進めた」わけではなく「ロシアの情勢に従い二島先行でという政府判断に従ったら世間から批判された」の、?
だとしたら面白いよなあ。とかいう話ではないけど。事実が事実と解離する。
それで田中氏が四島返還を要求したらロシアに付き合いきれんと放り出されふりだしと。
政治って緊張するな。物語としては面白いんだよ。
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by jinloturu | 2015-09-13 15:14 | エッセイ・評論他 | Comments(0)  

イスラム国の正体/黒井文太郎

体系的でわかりやすい説明書。
日本でやっとISISに関心が向けられてきた2014年12月刊行。
なのでとっつきやすい。

シリアでアラブの春が失敗し、アサド政権下でシーア派が幅をきかせた。
そこで大量虐殺が行われたので、スンニ派(とか?)が立ち上がり内線が始まった。
だからシーア派と対立してたISISはそこに漬け込み勢力拡大できた。
シリアでは打倒アサド政権の大きな勢力もあったけど、そこの理念はあくまで「打倒アサド」に留まり、他方ISIS「理想のイスラム世界建立」を掲げていた。
政権を崩すだけで状況は改善しなかったアラブの春の失敗が記憶に新しいシリア国民はISISに流れた。


オバマはそもそもブッシュ政権の反省を踏まえ「軍縮」を掲げていて、最初ISISに干渉しなかったことが事態を悪化させた。アメリカくらいしかISISを制圧できる軍事力を持つ国はないから。
けど、そうもいかなくなったので、アメリカ国民の人質が殺されたことで国民感情が高まったのをきっかけに空爆を開始。
遅すぎとか言われたこともあったみたいだがそもそも今まで他国の戦争に首突っ込みすぎて無駄に兵士を死なせることに国民の抵抗感が強いのだから仕方ない。



……私の関心のあるところのまとめはこのくらい?
残虐さを押し出すところが他の過激派との違いだが、それを理解してる人ばかりが入ってくるので扱いやすいとか。
何故残虐か、というところにはあまり答えらしき答えはなかった。

北海道の学生がISISに参加しようとした事件について「あまり深く考えてなかった」とあった。
いやまあ有り体に言えばそうなんだろうけど、他の評論で「日本のイスラム研究家(名指し)が現況を歪曲してぬるい情報しか学生に伝えてなかった、学生は現実に閉塞感があり別世界を求めていた」っていうの読んでたから、「深く考えてなかった」というのは可哀想かなと。
きっと状況が違えば、時代が違えば(遡れば、あるいは下れば)日本のカルトにハマってたろうな。
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by jinloturu | 2015-06-18 19:12 | エッセイ・評論他 | Comments(0)  

ヘンな論文/サンキュータツオ

面白い。
こういう、ヘンな、誰もそんなことしないだろ!っていうことやってる人とか、好きなものに多大な熱をかけて惜しまない人、大好き。
それを「論文」というファクターから見ていくタツオさんも凄いな、と思う。
読んでて、去年やった歌詞分析をきちんとした論文にしてみたくなった。(分析分類方法明記してないし雑なとこ結構あるので)
あとリバBL分析も早くまとめたいんだよなあ……。


感動したのは『「コーヒーカップ」の音の科学』。
研究とはなんたるか、統制条件を整えては比較する、そうして初めて真実が浮かび上がってくる。
気の遠くなるような作業だ。


『「浮気男」の頭の中』、この研究対象の6人ポリアモリーだろ。
研究対象条件の「夫婦関係に不満がない、奥さんとの関係は良好、奥さんへの愛情がある、彼女とも真剣」、
まんまポリアモリーの条件である。
言い換えれば「モノガミー社会におけるポリアモリーの苦悩とその昇華過程」というところかね。

そのためタツオさんの最後の一文はイラッとした。
「世の奥様方! くれぐれも旦那さんの前を、裸で「びー」と歩かないように」p52
歩こうが歩くまいがポリアモリーには関係なかろう。
無知ゆえの言葉にせよ、夫の浮気を妻側のせいにまとめる偏見の露呈がみっともない……。

でもポリアモリー研究においての価値はあるよな多分。タツオさん(浮気を羨ましがるシスヘテロ男性)の紹介方法含めて。
無意味なように思われることが実は役に立つっていうのも熱い。

前人未到の湯たんぽ研究は熱さの極みよね。
江戸時代に歴史的空白があるとかその考察とかめっちゃ面白い!!
培ってきた研究スキルを全投入して湯たんぽ調べあげるとか……伊藤さんの人生凄すぎる……。



こういうことにアンテナ張れるのは魅力だよなー。
いいなー面白いなー。
膨大な研究の限りを、その精神を、こうして伝えてくれるタツオさんの役割って結構貴重だ。
最近東京ポッド聴いてないけどこっち聴こうかな。
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by jinloturu | 2015-05-16 19:56 | エッセイ・評論他 | Comments(0)  

オウム真理教の政治学/大石紘一郎

「理論的な教義体系に惹かれた」と語る(元)信者が多かったから教義内容気になってたけど、そんなものかと拍子抜け。
例えば「コーザル界、アストラル界、現象界」があると仮定して、そこから説明を組み立てていく、というもの。
だから幽霊は「現象界から下位アストラル界を覗いたもの」と説明できる、と。
じゃあアストラル界ってどうやって説明すんの?って疑問が沸く。
いや、それそのものは中々に面白い話でそういうのわくわくしながら聞きたいけど、揃って「教義が理論的」と言うのならもっと根拠がしっかりした凄いものを期待してた。
逆に言えば他の宗教ってこういう説明すらできないの?
キリスト教とか確かにもっと抽象的だったような……?

まあ修行方法が明確だった、って魅力のほうはわかるけど。


『言語ゲーム』。
わかりいいネーミング。
アイヒマン実験知ってりゃわかりますね。戦中は日本全体が「特殊」な言語ゲームの中にいたと。
創造した新語によって本質を覆い隠す……。
仏教の「四量無心」のひとつ――「捨」(平等心)を、「聖無頓着」と訳し、麻原は「事に心を動かさず、自分のすべきことをしなさい」と教える。
単なる無頓着を「聖」に変えた、という『言語ゲーム』。
なるほどなと。
"カルト化"とは言語ゲームからしていくのか。
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by jinloturu | 2015-05-03 23:29 | エッセイ・評論他 | Comments(0)