男子の貞操/坂爪真吾

「性でつながる社会」に抗して――坂爪真吾『男子の貞操』批判
このブログの書評(批判寄り)を読んでから読み始めた。

僕たちが生きている社会は、男性が性にまつわる問題の当事者にならなくても済む社会、より正確に言えば、本当は当事者であったとしても、そのことを意識せずに、平然と生きていくことができてしまう社会です。
(p39より引用)

はい♡それ♡
私の怒りは性を語らずに済む思考停止で済む性の現場で不在になれる社会化された男へのものが主です♡♡




性が「お上」の規制によってコントロールされている、禁じ隠すことにより性的興奮が喚起される、性器露出が恥ずかしいからパンツが要請されたのではないパンツが生まれたから恥ずかしくなった……
あれよあれよと性的記号が剥がされていく序盤の章はいっそ快楽なほど憑き物が落ちていく感覚を得る。
「隠されるから/タブーだからエロい」「性的記号は文化」までは実感として知っていてもこんなにまで上から支配されていたのかと。

……と感心しながら読んでたらいきなり「セックスする動機付けがないならしなくていい、じゃないのよ、命をつなぐライフラインと他者との絆のために必要」とか生殖イデオロギー、ロマンティックラブイデオロギーが展開されはじめて「!!?」ってなった。
おい「男性同性愛者にも学びがあるよ」とか書いておきながらそれがただの申し訳程度の記述に堕すぞ。
「エロ」と「愛」は意図的に使用しなかったくらい性に対して誠実であろうとしてるはずなのにそこで性欲と性行為と生殖と情を結びつけちゃうのか。

いい方向の「べき論」を提示する理念はなるほどと思ったけど、全体的にいささか「記号」への憎しみが過ぎる。
確かに記号は危険を孕むから慎重に扱わなきゃいけないけど、必ずしもリアルセックスと両立しえないものじゃないでしょ。記号の虚構はリアルセックスの代替ではない。
積み重ね型セックスの"正しさ"とやら、「もし僕らがモノアモリー的クローズド対人関係において自己とパートナーが長期的に満足を得やすいセックスを探求したいと思うのであれば」、という前提がほしかったかな。
でもまあ「べき論」に沿うなら男を性の当事者として意識させるためには記号を捨て去るほど強制しなきゃいけないのかなあ。現実問題それくらい記号は暴力に転化しつづけているしね。


性風俗批判もまあ……ひとつひとつは説得力があってわかるけど……って感じ。
あ、『AV女優の社会学』における「エンタメ」という単語はもっとポジティブな意味合いだったと思うんだけどな。エンタメ"だから"と問題を矮小化してはいけないけど恣意的な運用ぽさ。

私はヘテロ主義的挿入・射精中心主義を蛇蝎のごとく嫌ってるからちゃんとそこを解体してくれたのはありがたい。
が、嫌いすぎて「"誤った"オナニー」とか「膣内射精障害」とかいう言葉にも嫌悪感があるからもやっとしたかな~~……。長期モノアモリー恋人契約異性とのセックスを至上とする価値観は拒絶したい。ヘテロセクシズムと容易に結びつくし。

あと絶対に反論したいのは「多くの国で一夫一婦制を採用してるのは一人の男が複数の女を満足させるのは非常に難しいから」。
いや秩序形成のための社会的単位として都合がいいからだろ……。



そんな感じでちょいちょいもやっとしたところはあった(大枠は上記ブログが言ってくれてる)、にせよ、基本的には「そ れ な !!!」って言ってた。
意義深い本ではある。なにしろ男は語らないから。
それでずっと活動しているのはすごいなあ。
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by jinloturu | 2017-05-30 14:44 | エッセイ・評論他 | Comments(0)  

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